Dentalism 22号
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病)というより、むし歯予防のためにしているような時代で、僕も親父のところで知識だけは増えていったけど、何せまだ若い勤務医だったし、京橋という土地柄、近隣の若いOLやサラリーマンを診るぐらいだった。――3年後には北海道へ行かれていますが、どういう経緯があってのことだったのでしょうか。村岡 ある日、奥歯が凄く痛いという若いOLがやってきて、診ると歯が浮いちゃって噛めなくて、触ると痛くてしようがないわけ。でもレントゲンを撮ると無髄歯なんだよ。根管治療が悪かったんだろうね。理論的には根の中を掃除すれば治るはずなんだけど、それまで歯が痛くて我慢できない人なんて見たことがなかった上、何しろこっちは慣れていないわけだ。今だったら無髄歯だろうが麻酔を打つとか、冠をそおっと外すとか、いろいろやりようもあったと思うけど、ガリガリやっちゃったら女の子が泣き始めちゃってね。俺もショックでした。 親父からは「お前ねぇ、咬合の理論とか、歯をどう綺麗に削るとか、生意気なこと言っていないで、痛いって来院した患者さんを、その場でピタッと収めてあげなきゃいけないよ」なんて言われてね。 よし、じゃあ毎日痛いやつが来るところへ行こう、と、北海道で2番目に広い町、別海町(べっかいちょう)へ行くことにしたわけ。四国の香川県と同じぐらいの広さに、当時は人口が2万人、牛が8万頭いる町だった。そこに2軒あった歯医医院のうち80代の先生が亡くなって人を探しているって話を北海道の友人から聞いてさ、それで北海道へ。――患者さんは老若男女がいらっしゃったのでしょうね。京橋とは随分と勝手が違ったのでは?村岡 そりゃあ、そうですよ。俺はパーシャルデンチャーだって3個ぐらいしか作ったことがなかったし、ましてや総義歯なんてやったことがない。友人のところで1カ月ぐらい訓練させてもらって準備しましたよ。 でも診療2日目の早朝4時頃に寒くて目が覚めたんで、熱を測ってみたら39度5分あるんだよ。起き上るとふらふらするし、こりゃあ診療できないかもと思って、隣接する自宅の窓から外を見たら、まだ朝の4時半なのに駐車場に車が止まってんだよ。9時に治療の順番をとって一度帰る人もいれば、遠方から来ていてそのまま待っている人もいる。結局、否応なく診療に入って10時過ぎに一度落ち着いたんで熱を測ってみたら平熱なんだよ。やっぱり緊張で熱が出たんだろうね。29歳で北海道に行ったはいいけど、何もやったことがなかったからさ(笑) そうやって1日80人の患者さんを診ていたあの3年は勉強になったねぇ。決して俺の治療が上手いから来ているんじゃなくて、他にいないから来ているわけなんだけど、少なくとも俺でもいいと思って来てくれる患者がいるということが、自信になったね。――北海道から戻り、生まれ育った市川市で開業されていますが「総義歯の村岡」となるまでには、どのような研鑽を積まれてきたのでしょうか。村岡 戻った後は、丸森賢二先生の勉強会「横浜臨床座談会(現・横浜歯科臨床座談会)」に参加しました。先生は「ここに来れば何かいい話が聞けるんじゃないか、って考えのやつは来るな」という考えの持ち主で、レントゲンでも、口腔内写真一枚でもいい、補綴物でもいいから、自分が治療したものを持ち寄って参加しろと言っていましたね。だからみんな恥をかきながら勉強していましたよ。 そんなある時、歯科医師会の講演会があって、三井男也という衛生行政をやっている厚生省の課長がやって来るっていうんで、友達に誘われて行ってみたんだよ。演題は「これから生き残る歯医者」というような内容。いろんな話があったけど、二つだけ強く印象に残った話があってね。 一つは「先生方は、もう5分だけ余分に患者さんと話をして下さい」って話。厚生省では日本中の医療トラブルの話が入ってくるわけで、その8割は説明が足りないとか、話を聞いていないことが原因だという。今は、説明をしていない、聞いていないというだけで罪になるし、治療でも何でも了解を得てから行うけれど、当時はまだインフォームドコンセントなんて言葉が出てきていない時代。でも何かあったときコミュニケーションをとっているかどうかで違ってくる。医療ってそういうもんだよね。 もう一つは「得意技を持ちなさい」という話。「これだ!」って思ったね。俺なぜか総義歯が好きだったから(笑) 北海道でも入れ歯ばっかりやってたし、自分は総義歯をやろうって決めたの。 それまでは、歯科関係の専門誌や雑誌なんかでも、積読になっちゃうことが多かったけど、そこからは総義歯のところは全て読んだ。ちょっと時間があるとパーシャルデンチャーも読んでさ。総義歯の講演会なんかは、休みの日はもちろん、夜開催されるものまでなるべく聞きに行って、あらゆる先生の総義歯のコースに出たね。得意技を持つわけだからさ。そうやってい8入れ歯界の黒船と呼ばれたドクターパウンドがアメリカから来日した際に、京橋の医院で3世代の村岡先生が一緒に撮影された貴重なショットと共に。

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