Dentalism No.9
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6持ちが常にありました。窓口に置いてある歯ブラシをもっと安くできないかと思い、車をぶつけたつもりで金型を作って、自ら歯ブラシを作り始めたというのが、今の会社を興す始まりでした。大久保会長は歯科医師である一方で、静岡市の歯科医師会会長に始まり、県歯、日歯連盟、日歯の会長を歴任され、様々な経験をされていますが、「いつかこれを成し遂げたい」という目標があったのでしょうか? 大久保 僕は大学を卒業してはじめ大学院の小児歯科にいたんです。その頃というのは、後に「子供のむし歯の洪水の時代」と呼んだぐらいで、三歳児健診や、乳歯が完成した時点で子供の九割ぐらいがむし歯という凄まじい時代でした。ウエイティングも物凄かった。痛がる子供の応急処置をして次回の予約をとろうとすると、当時うちの大学では八ヵ月後、医科歯科大は一年待たないと二回目の予約がとれなかった。そのぐらい小児歯科を見る歯科医師が少なく、凄まじい数のむし歯の子がいたのです。「治す、またできる」を繰り返し、ウエイティングの間にもむし歯はどんどん酷くなる。これは放っておけないと思い、教授に頼んで母親教室を始めました。でも大学院の途中で父が亡くなり、跡を継ぐために戻ることに。市の歯科医師会の会員になって二年目ぐらいの頃、当時の公衆衛生といえば歯ブラシを配って終わり、みたいな感じだったのですが、僕も若くて生意気だったので「こんなの公衆衛生とは言わない。公衆衛生というのは日常活動だ」なんて言ったら、あいつは生意気だから理事にしろといわれ二十八歳で理事をやらされて(笑)それで昭和四十五年ぐらいに日本で初めてだったと思いますがお母さんと子供たちを「リコール(定期健診)」で診ていくということをやりました。市長に直談判して保健所に歯科衛生士や栄養士を入れ、市と歯科医師会が協力をして母親教室を開催したのです。それが歯科医師会の役職について初めてやったことです。トップになりたいとは一度も思ったことがなくて、ただ、起きてくる問題を解決していくうちになんとなく会長にさせられてしまい、市歯も県歯もそんな風でした。日本歯科医師会は選挙があるので、ある時点では「なろう」と決心したから立候補したわけですが、何かをしようとした時に、一理事としてやれれば一理事でも構わなかった。でも仕事をしていくうちに、例えば歯のむし歯予防にしても、診療報酬にしても、治療と切り離せないとなると、地域保健などの理事だけでは問題解決できない。そうすると、もう少し役職を総合的に監督する役職につかないとダメだということになる。じゃあ、その仕事のためにこの役職に就こうと。格好よく言えばポストありきではない、仕事ありきだということです。清水 大久保会長にとっては、一つ一つの役職は、目標を達成するための一つの手段にすぎないということですね。それにしても今では定期健診も当たり前となっていますが、当時のお母さん方には、さぞ喜ばれたことでしょうね。大久保 お母さんたちは本当に困っていましたからね。だいたいむし歯が何かもわかっていないから、どう予防したらいいかもわからない。ただリコールで呼んで話し合って、指導したことが2回目に来たときに上手くできているかをきちんと調べて、足りないところは指導していく。これを続けていましたが、そんな中で僕は逆にすごく学んだことがありました。ともすると健康教育とか保健指導というのは、我々教える側と、教わる側の母親がいるという固定的なとらえ方をするわけですが、それが明らかに間違いであると思ったのは、子供に歯ブラシをいつどのように使わせていくかを模索していた頃です。どうしたら子供にスムーズに歯

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